カウンセリング

カウンセリング体験記

内海 恵子*1

私と「はあと・くりにっく*2」との出会いはホームページでした。 あまり日本ではカウンセリングというものが浸透していないので抵抗感をもたれる方も多いと思いますが、わたしは、もともと心理学に興味を持っていましたし、その重要性も理解してたつもりです。 けれどそれが自分のこととなると躊躇してしまうというのが本音でした。

躊躇する理由としては、カウンセリングの構造や本質的なもの、つまりそこで何が起こるのかということは全く知らないし想像しがたいことがありました。 また、自分の悩みを本当に理解してもらえるだろうかという不安や自分の問題は自分でどうにかがんばって解決するもので、誰かに解決してもらおうとするものではないというような考えもありました。

そんな私が実際に行ってみようと思えたのは、カウンセリングの敷居をできるだけ低くしようとするはあとくりにっくの姿勢やその努力がホームページから感じられたこと、メールで自分の疑問を伝えたときの対応などから、はあとくりにっくに対する信頼感を持てたからです。

私が悩んでいたことは対人緊張がとても強いということでした。 他人を脅威に感じている部分が多く必要以上に他人の評価を気にしたり傷ついたりしていました。 そんな自分自身が嫌な分だけ、成長欲求も強いので周囲の人が見ると、「とても前向きな人」というように映ったかもしれません。 でも実のところは自分を変えたくて、つらくて、ただもがいているような状態でした。

私は努力さえすれば、自分は変えられると思ってました。 自分の緊張という問題は、自分に対する自信のなさからきていると漠然と考えていて、つまり自分に自信が持てるように何かをがんばるとか、話し方のノウハウを勉強してみるとか、そういう努力をすればいいのではないかと考えてみたりしていました。 つまりいつまでも自分が変わらなくてもがいているのは、自分の努力が足りないのだと思いました。 そして変わらない自分にまた嫌気がして、また落ち込んでという悪循環でした。

でも、カウンセリングはそうではないといいます。 なぜ緊張してしまうのかというのには、人それぞれのpersonalな理由、意味がある。 それを理解していかなければ、汚いものに蓋をするだけのことだと。

私はカウンセリングをする中で「母親をひどく恐れている」ということに気づきました。 カウンセリングは別に催眠をかけて人の無意識を覗くわけではないので、この気づきはカウンセラーと話をするということをきっかけとして、家に帰ってから自分のことを振り返っていく中で気づいたことです。

これは現実の意識の中で母を恐れていたというのとは違います。特に今、母と面と向かっても恐れなど感じはしません。 けれど、昔の経験によって生じた「母に対する恐れという感情」は、自分でも気づかない心の奥にずっと持ち続けていたようです。

自分でも信じられないのですけど、このことに気づいたとき、つまり母に対する恐れ(いつも責められたり、自分を否定されたりしてたこと)を思い出したとき、子どもの頃の悲しみがよみがえってきて、涙が自然に出てきて止まりませんでした。 泣きながら「もう私を責めないで」と母に対して言っていたようにも思います。 私が他人を恐れて脅威に感じていたのは、他人に母の存在を重ねていたのだと思いました。 「母が私を責めたり否定したように、人は私を責めたり否定する存在である」という気持ちが私の気持ちの中にあったことに気づきました。

そのことに気づいたのと同時に、次のことにも気づきました。

・他人は母とは違う存在である

・母は私を見放そうとはしていない

・今の私は母に受け入れられている

この気づきによって、人の存在に対する脅威が薄れて肩の力が抜けたようです。

カウンセリングは他人の意見を聞きに行くところでもなければ、何かを教えてもらうところでもなく、あくまで自分自身が主体となって問題の解決をみつけていくもので、それをカウンセラーの方にサポートしてもらうところです。 問題を解決していくのはあくまでも本人自身です。

けれど自分一人では問題の本質に気づかなかったり、堂堂巡りに陥ってしまうことがあると思います。 そのようなときには専門家の力を借りることは、自分や一般の人とは違う角度からのサポートを得るという点で、新たな解決の可能性が広げられると思います。

K*1

私がカウンセリングを受けることになったきっかけは、夫婦の問題からでした。

私には離婚暦がありますが、いずれも人格的に問題がある、似たような結婚相手を選んでしまっていることをふと疑問に思いました。 「男運がない」とか「優しすぎるのだ」だとか、いろいろな理由を考えているうちに、それまでは相手の人格を(心の中で)責めてばかりいたけれど、自分自身に何か問題があるのでは?という疑問が浮かんできました。

そこで一度根本から自分を見つめ直してみようと思いました。  それまでは、他人を頼ることができず、すべて自分の力で解決しようとしていました。 他人に頼ることは、負けたことになるような気がしていたのです。 今回はなぜか自分一人の力ではどうにもならないように感じ、第三者に客観的に分析してもらいたいと思い、カウンセラーを検索しているうちに、@はあと・くりにっくに辿り着きました。

3度の面接でカウンセラーさんとお話ししたことを思い返しているうちに、今まで目をそらせていた客観的な事実が次々と浮かんできました。 気づいたきっかけはほんの些細なカウンセラーさんの言葉でした。

私は小さい頃から両親とは別に暮らしていましたが、なぜ別々に暮らしていたかという理由、愛されていたと信じていた祖母、親戚から常に言葉で責められていたこと。 自分の記憶と第三者に聞いた記憶をつなぎ合わせ、事実をすべて知ったとき、今までの結婚相手の姿が、そのまま父親の姿であることなどを思い出しました。 と同時に、それまでは「自分は幸せだ」と自分自身に思い込ませ、自分自身の痛みや感情を出せずに、いつも自分自身を演じていたことに気づきました。

「より良い自分であろう」とするのに、心の底では「愛」を求めている自分の姿にも気づきました。 同時に、今まで自分を責め続けてきた身内への怒りが込み上げてきたとき、はじめて心の底から「辛かった」と泣くことができました。 辛かったと泣くことで、身内への怒りも自然と小さくなっていきました。 その「怒り」が、今までの自分自身のパワーとなっていたことにも気づきました。

自分自身のありのままの姿に気づくことで、とても楽な気持ちになることができました。 他人に受け入れてもらわなくても、他人からの評価を気にしなくても、自分自身が自分を受け入れてあげることが一番大切なことだったのだと気づくことができました。 他人をコントロールしたがった自分がいつのまにか消え、自分と他人との違いも明確になり、他人を尊重できるようにもなりました。

その結果、他人を信じて素直に頼ることもできるようになり、「嫌なことは嫌」「無理なことは無理」と少しずつですが言えるようにもなりました。 自分自身の限界もきちんと見えてきたような気がします。

不思議なもので自分を受け入れることができると、性格自体が変わったわけではないのに、感じ方が変わるのです。 結果的に夫婦の問題も解決に向かいつつあります。

自分自身の問題には必ず「原因」があり、その原因に「自分で」気づくことによって、大きく変化するものがあります。 自分の間違いを正すのではなく、自分自身の姿を知るだけなのです。 自分が楽になるために、自分自身のありのままの姿に気づくために、第三者の力を借りることは、決して恥ずかしいことではないと知ることができた、カウンセリング体験でした。

*1 お名前は仮名です。

*2 運営会社が「株式会社はあと・くりにっく」で、このサイト及びカウンセリングルームの名称が@はあと・くりにっくです。 スタッフも特に区別せず「はあと・くりにっく」と呼んでいます。